「れ~ろ☆と愛を届け隊」は ボランティアで構成する 動物保護団体「Arch」 の保護活動を応援しています。「れ~ろ☆と愛を届け隊」プロジェクトは被災犬支援を目的に当ブログで立ち上げました。
動物保護団体「Arch」は、センターで殺処分を待つ犬猫を保護し、各ボランティア宅にて一時預かりをして里親を探す活動をしています。
ご支援金のお振込み先
ゆうちょ銀行
記号 10170 口座番号 91645191 口座名 レーロトアイヲトドケタイ
(他行よりお振込み)
店名 〇一八(読み ゼロイチハチ) 店番 018 預金種目 普通預金
口座番号 9164519 口座名 レーロトアイヲトドケタイ
※下線の入ったお名前はご支援者さまのブログに飛びます。
みやかー3さま・・・このたびはご支援をお申し出いただき有難うございます。17日にお返事のメールを差し上げましたが、サーバートラブルがあったようで送信フォルダに記録が残されませんでした。もしかしたらメールも届いていないのでは、と心配しております。もし届いていない場合がご一報いただければ幸いです。
※たびたび送信事故が起きておりますので、メールの送受信の際にはこちらの掲示板より再確認のご連絡をさせていただきます。メールが届いておりましたら読み流してください。メールが届いてない場合はお手数ですが再度ご連絡ください。尚、ラインでのご連絡は既読がついた場合は基本的に掲示板で再確認のご連絡はしておりません。
初めて河川敷を訪れたのは、暑い夏が始まろうとする6月でした。


動物保護団体と犬たちの避妊手術をしてくれた獣医さんが中心となり1200名の署名を集め、都議会で満場一致で犬たちを保護することが採決されたときは、もうこれで無事解決、と思いました。
TBSのビビッドが放送倫理違反となる番組を放送さえしなければ・・・。
放送内容については別問題。
ここで保護活動に関して問題となったのは、それをきっかけに全く予想もしない展開となってしまったこと。
小池知事の名前で犬たちの保護を指導されたにも拘わらず、センターが動かない。
放送内容に激怒した人権保護団体やホームレス支援団体が圧力をかけてきたからである。
あくまでも放送倫理に関する問題だったものの、犬の保護はホームレスの所有権を侵害する、すなわち人権侵害にあたる、とのことで、事を荒立てたくないお役所は 「静観」・・・「やっている」ポーズのみの静観を決めてしまった。犬たちがケージ内におらず放浪していたら捕獲する、ことになっていたはずなのに、センター職員が放浪している犬たちをケージに入れているのだから話にならない。
普通の会社だったら、取締役会で採決され社長命令が下ったようなもの、当然現場は即実行じゃないですか。
お役所にとって、都知事、議員、議会との関係はそれとは違うんですかね。
動物保護法なんて、紙切れでしかない。
狂犬病ワクチンの接種義務をタテに保護しようにも、
「一頭でも接種していればいい」 「来年接種します、と言っていればいい」
とセンター職員が来て説明する始末。
このままこのコたちがここで死んでいくのかと思うと可愛そうでならない、と言いながら。
保護したくても上の指示に従うしかない、ということか。
漫画やドラマなら、「上に逆らって、漢になる!」なんて人物が現れたりするけど、現実はそうではない。
調布市も国土交通省と共に何とかしようと動いていた。
2019年ラグビーワールドカップ、2020年東京オリンピックの2つのビッグイベントで競技会場を擁する全国唯一の市である。 市長に直訴したとき、このホームレスの人間なりも理解していて、強制撤去もやむなしと考えている、との返答をもらった。「そう長くはかからない」と言っていたが、どうやら競技会場となるスポーツセンターのこけら落としが11月にあるので、それまでに何らかの目途を立てようとしていたようだ。建設車両用臨時道路の建設は苦肉の策だったのかもしれない。多摩川の洪水は渡りに船だったのだろう。行き場を失った犬たちのことで近隣の住人から苦情や保護要請が相次いだことで一気に動いた。
これからもブリーダーから犬を引き受ける、と豪語していたことを思うと、まだまだ安心はできないが、19頭の犬たちの問題に限ってはひとまず収束するに至った。都議会議員、市議会議員の方たちも一生懸命動いてくれた。動物保護団体スタッフの方たちの努力と忍耐には本当に頭が下がる。そして、私自身は、もう少し頑張れたのに、と反省と後悔しかない。
ここからは、私個人の意見。便宜上、「ホームレス支援者」「人権保護団体関係者」を「擁護者」と書く。
河川法では当然河川敷に居座り住居を構えることは禁止している。一方、ホームレス支援法ではホームレス居住地への立ち入りや撤去を禁止している。法的効力はホームレス支援法が河川法を凌ぐんだそうで、だから
「あなたには人権がある、居住権がある。立ち退く必要はない、ここに住んでいればいい。」
と擁護者に説明されたホームレスの男性はめっぽう強気でいた。
擁護者たちは、そこには社会に取り残されたホームレスの生きざまがある、社会のひずみの犠牲となった人々が必死に生きている、だからそれを守る必要がある、と主張する。けれど、そんな場所に「生きざま」があることが自体が間違いだ、と私は考える。必死に健気に生きていることは否定しない。だが、野菜からお菓子、煙草、下着から洋服にいたるまでを配って与えて、「あなたは守られているからここで暮らしていい」とホームレスを勇気づけることに何の未来があるというのだろう? 施設に入って、社会に順応して生きていけるようにすることが一番必要ではないのか?
擁護者は主張する。
「そんな単純な問題じゃない。ホームレスには知的障害や心の病で施設の共同生活が出来ない人たちも多いのだ」。
では病気になったらどうする?
「病気になれば施設に入ればいい」。
病気になってしまったら、ますます社会に順応していくことが難しくなるのではないか?
私はホームレス問題について議論する気はない。ただ、その考えに基づいて犠牲となっている犬たちを救いたかっただけだ。ホームレスが病気にならない限り、犬たちは救われないのか?それまでに病気になった犬たちは、自分たちが好きでいるわけではない、過酷な環境の、この場所で死んでもいいのか?
擁護者たちの中には、犬たちのことを心配してくれる人たちもいた。
「手放してくれるのならば、自分が飼いたい」と言ってくれた人も。
だけど、「所有権」を放棄しない限り、犬たちはホームレスのものである、と。
犬がいれば多くの支援を受けられる、その駆け引きだけで犬たちを手放さないのは明らかなのに。
「守る」 「助ける」 これらの言葉の意味の解釈が彼らと私とでは根本的に、そして、徹底的に違っているのだろう。それは、一生かけても交わることはなさそうだ。
「あなたたちは犬が保護されればいいだけでしょ」
我々が彼らの考えが偏っている、と思うと同じに、彼らも我々の考えが偏っている、と思っている。
言いたいこと、書きたいことは山ほどありますが、これまでにも被害迷惑を被った人たちがおり、未だ心配なことも残されている状況下のため、関係各所でも詳細を伏せており、一個人の私が無責任に詳細を書くことは出来ません。当たり障りのない程度での報告しか出来ないこと、また、報告が遅くなりましたこと、本当に申し訳ありません。収容された犬たちの何頭かは各保護団体に引き取られたことを確認していますが、それ以上のことはわかりません。個人活動では限界がありますので、引き続き保護団体と協力体制を取れるよう尽力いたしますが、あとは、すべての犬たちの余生が幸せであることを願うだけです。
ご支援品からフード類、ペットシーツやタオル等を使用させていただきました。
全頭がゼンターに収容されたことのご報告と共に、ご心配いただいた皆様、ご支援いただいた皆様にあらためましてお礼申し上げます。
有難うございました。